2006年に右肩を痛めてしまいますが、オリンピックへの夢があきらめきれず、その年の10月からフリースタイルスキー男子エアリアルに転向。
スキーは初心者ながら、体操で培った空中感覚と空中姿勢の美しさを武器に頭角を表します。
所属からの契約も切れ、競技を続けるのにつらい時期もありましたが、自ら知り合いや企業に支援を呼びかけ、白馬のスキー場の民宿に居候し、働きながら競技を続けたとのこと。自分だけのオリンピックではなく、お世話になった人々への恩返しと感謝の気持ちが出てきたということです。
今回37歳にして初のオリンピック出場の夢をかなえた田原直哉選手。
ワールドカップで3位以内にもなっており、初出場ながらメダル獲得を目指します。
壮行会には、体操時代の徳州会の仲間も集まって送り出してました。
水鳥寿思さんがスピーチして激励してました。
体操選手時代の演技を見て、オリンピックにかける思いを知っていましたが、このあきらめずに夢を追いかける田原直哉選手の勇気、行動力、意思の強さには感動します。