田中和仁選手が引退を発表しました。
田中和仁選手と言えば、体操の教科書と言われるほど、美しい体操を体現した選手であり、2009年世界選手権ロンドン大会、2010年世界選手権ロッテルダム大会、2011年世界選手権東京大会、2012年ロンドン五輪、2013年世界選手権アントワープ大会の代表メンバーとして、長きに渡り、日本体操界を引っ張ってきました。
世界トップクラスの体操ニッポンにあって、オリンピック代表メンバーに入ること自体が凄い難関なのに、3兄弟全員が一度にオリンピック代表を勝ち取るというのはとんでもなく凄いことです。
特に得意の平行棒では、この頃から美しい演技でBスコア(現在はEスコア)がとても高く抜群の評価でした。
2009年、冨田洋之選手、鹿島丈博選手、米田功選手らこれまで日本のトップを支えてきた選手たちが引退して、次の時代を担うエースを決定する天王山となった4月の全日本選手権、北京五輪で個人総合銀メダルを獲得し、新時代のエースの期待を一身に背負う日体大3年の内村航平選手が素晴らしい演技で一位を爆進していましたが、社会人1年目、徳洲会体操クラブに入った田中和仁選手も持ち前の美しい演技で2位につけ、5種目目の平行棒で棒上落下の大過失を出した内村航平選手を得意の平行棒で逆転、鉄棒も完璧な演技を決め、内村航平選手が15.550以上の高得点を出さないと優勝出来ないというところまで、追い詰めました。
内村航平選手がここで神がかった演技、ずば抜けた高さの手離し技と今では代名詞となった完璧な着地を決め、15.7を出し劇的な逆転優勝となりました。
冨田洋之選手、鹿島丈博選手、米田功選手ら栄光のアテネメンバーが引退し、体操ニッポンはこれまで通り、世界トップクラスの実力を維持出来るのかと心配していた体操ファンも内村航平選手と田中和仁選手の頼もしい演技を目の当たりにして、体操ニッポンの黄金時代はむしろこれから始まるのではないかと期待が膨らみました。
この年の世界選手権ロンドン大会、田中和仁選手は内村航平選手との個人総合ワンツーフィニッシュも期待されましたが、あん馬落下が響き、3位と僅か0.1差の4位。内村航平選手は世界選手権個人総合を初優勝し、その圧倒的な強さから内村時代の到来を世界に予感させました。
田中和仁選手も種目別平行棒の決勝では、着地まで止める完璧な演技で3位に入り銅メダル獲得!
その美しい演技で世界に存在感をしめしました。
中国を僅かな差で追いかける勝負どころの最終種目鉄棒で1人目の田中和仁選手がひねり技でまさかの落下。
中国に1.228差で銀メダルに終わりましたが、北京五輪の時には7.25と大差がついていたことを考えると、どちらが勝ってもおかしくないところまで差が縮まり、日本が強くなったことを印象づけました。
顔ぶれを見ると、日本の実力が勝っていると思いましたが、日本の方がミスを出していたこともあり、大きなミスを出さないことが重要ということを思い知らされた大会でした。
2011年、世界選手権東京大会。15年ぶりに日本で行われる世界選手権に日本中の体操ファンが歓喜しました。
予選から登場した日本チームに大きな歓声が沸き。アメリカ、中国を抑えて予選を首位で通過しました。
2012年、オリンピックイヤーを向え、代表争いが熾烈になる中、その強さを見せたのが、田中和仁選手でした。
内村航平選手は2011年の世界選手権で個人総合3連覇を成し遂げ、ロンドン五輪代表内定が早々と決定。オリンピックは5名が代表となるため、残り4枠、そして個人総合で代表に決まるのが1枠ということで、その1枠をめぐり激しい代表争いが繰り広げられました。
ここで台頭してきたのが、大学1年になった野々村笙吾選手と加藤凌平選手。
特に野々村笙吾選手は2011年ワールドカップドイツ大会で高校生で優勝するという快挙もあり、個人総合に力を持った選手。スピードと勢い、力強さと美しい体操を武器に上位に迫りました。
それを上回ったのが、田中和仁選手。美しい体操と世界を戦い抜いてきた実力、オリンピックに兄弟3人で代表を勝ち取ろうという、兄としてのプライドを感じるような素晴らしい演技。
見事に内村航平選手を除く個人総合最上位を勝ち取り、代表入りしました。
ここに3兄弟で五輪の日本代表を勝ち取るという快挙が成し遂げられました。
これまでの日本体操の強さが嘘のように崩れ、日本のファンとしても絶叫しまくりの深夜となりました。
個人総合決勝では、内村航平選手が本来の調子を取り戻した演技を見せ優勝!金メダルを獲得。
体操の最終日、日本が予選1位、2位と上位独占していた種目別平行棒決勝に注目が集まりました。
田中和仁選手も演技を通しますが、予選よりもDスコアを0.1落とした構成のため、4位とメダル獲得はなりませんでした。
2013年、4年に一度のルール変更が行われました。
田中和仁選手は、持ち前の美しい体操に加えて、さらに難度も上げようと床の伸身トーマス、つり輪の3回宙返り降り、平行棒のシャルロと大技を演技に加えてきました。
床の伸身トーマスは成功させるも、つり輪の後方3回宙返り降りでは、着地で回転が足りず、転倒するアクシデント。
足を痛めてしまい、残りの種目を棄権となってしまいました。
その年の世界選手権ロッテルダム大会の代表にも選ばれますが、左肩の怪我の影響もあり、平行棒で予選突破はなりませんでした。
2014年には、左肩を手術、代表から遠ざかります。
2015年には、NHK杯で個人総合6位。全日本種目別選手権では平行棒優勝と不屈の精神力で代表まであと一步というところまで、力を取り戻してきました。
6月の全日本種目別選手権、田中和仁選手にとって現役最後の演技となった平行棒は、右手有鉤骨の怪我を感じさせないほど、極限にまで研ぎ澄まされた魂のこもった演技、シャルロ(E)、屈伸ベーレ(E)、屈伸モリスエ(E)と高難度の技を次々成功、正確で力強く美しい、体操の教科書と言われた田中和仁選手らしい、軽やかさすら感じるうっとりとするような美しい倒立から鋭い回転、後方屈伸2回宙返りの着地を決め、素晴らしかったです。
演技が終わった後の清々しいやりきったという表情で場内の観客に手を振る田中和仁選手、場内から割れんばかりの大歓声でした。15.600で2位となりました。
オリンピックや世界選手権の大舞台でのミスも印象に残る田中和仁選手ですが、それ以上にその体操ニッポンを象徴する美しい体操は魅力があり、体操ファンに感動を与えてくれました。
お疲れ様でした。感動をありがとうございました。