akiraの体操観戦記

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沖口誠選手が引退

2015年11月の全日本体操競技団体選手権を最後に沖口誠選手が引退しました。

沖口誠選手を最初に見たのは2006年6月の2次選考会初日、日体大の3年生だった沖口誠選手、その時見た床の演技が衝撃的で、一気にファンになりました。
最初に当時海外のトップ選手しか行っていなかった4連続の宙返り、2本目に他の選手が行わない独特な大技ローユン、後方3回ひねり、最後にビッグタンブリングの後方伸身2回宙返り!
日体大の応援団の大歓声に笑顔とガッツポーズで応え、会場がすごく盛り上がりました。
すごい選手が現れたと衝撃をうけました。当時床が日本の弱点種目と言われていたこともあり、世界で活躍してほしい楽しみな選手が現れたと興奮したものです。
沖口誠選手は跳馬で当時日本で誰もやっていなかった最高難度の大技ロペスをなんと高校生の時に試合で行っていたとのことで、既に体操関係者の間では注目されていました。
その年の11月の全日本種目別選手権では、跳馬でそのロペスを決め優勝!
大技が決まるのを会場全体が期待している中、見事に決まり、あまりの高さとひねりの鋭さに会場がどよめきました。
2007年の第2次選考会では、得意の床、ローユンに切り返し前宙伏臥をプラスし、その切り返しのキレの鋭さに会場がどよめくほどでした。
日体大に入学したばかりの内村航平選手との床跳馬の2枚看板は迫力ありました。
その年のドイツ・シュツッドガルド世界選手権の代表にも選ばれ、得意の床、跳馬で高得点を上げ、日本の団体銀メダルに貢献しました。
10月の全日本種目別選手権では、床、跳馬優勝!
11月のプレ五輪では海外のスペシャリストを抑えて床優勝、跳馬3位、これぞ沖口誠選手の床という演技は素晴らしかった。
2008年、コナミに入りオリンピックイヤーを迎えます。
得意の床、ローユンに切り返し前宙転をプラスとさらにパワーアップ。
アテネ代表メンバーと新戦力が集まり、熾烈極まる代表選考を床、跳馬でポイントを稼ぎ勝ち抜きます。
代表を決定づけたNHK杯での床は素晴らしかったです。
北京五輪では、足を痛めていて、跳馬を団体決勝で行えなかったのが残念でしたが、床では高得点を出し、団体銀メダルに貢献しました。
10月の全日本種目別選手権では、床優勝、跳馬3位。
2009年、沖口誠選手は世界選手権の代表選考を勝ち取るため、あえてNHK杯を床の演技のみ行い、種目別ポイントで代表を勝ち取りました。
本人が試合後のインタビューで今日は床しか行わなかったところが残念といったのが印象的でした。
団体がない大会での選考なので、得意種目に絞って確実にポイントを取る戦略で代表を狙う、しかし、
個人総合でも強い沖口誠選手、全ての種目を行いたかったという葛藤が伝わってきました。
世界選手権では床の種目別決勝に進み、演技自体はよかったのですが、惜しくも5位でした。
2010年は、世界選手権の代表には届かなかったものの、全日本種目別選手権の床では、新技のローユン1回ひねりを成功させるなど、得意の床がさらにパワーアップしました。
2011年、東京世界選手権では、予選の床で田中佑典選手が脳震盪で演技を続けられないというアクシデントの中、失敗の許されない中での床の高得点、
そしてあん馬でもミスのない演技で日本チームを救うなど、総合力でも頼もしいところを見せてくれ、予選1位通過に貢献しました。
団体は惜しくも銀メダルでしたが、種目別の跳馬で、ロペスとヨーⅡ、2本とも大技を成功させ、見事銅メダルを獲得しました。
会場で見ててその勝負強さに感動しました。
2012年、ロンドン五輪の代表には届きませんでしたが、新戦力である加藤凌平選手との床のトップ争いは見応えありました。
2013年以降、怪我などで、本来の演技がなかなか見られなかったですが、2015年11月の全日本団体選手権では、沖口誠選手らしい床の演技が久しぶりに見れたので嬉しかったです。

沖口誠選手の床は、観客が盛り上がるような、見てて楽しい構成になっているので、これぞスペシャリストといった魅力あふれる素晴らしい演技でした。
2013年以降は左足すねの故障に苦しめられ、3度の手術をしたとのことで、それを乗り越えての最後の全日本団体の床だったんだなと思うと胸を打たれます。
その諦めずに挑戦する姿勢に感動し、これが日本体操の強さなんだなと思いました。

今回、引退ということで、その演技が今後見られないのは、寂しくなりますが、指導者の道に進まれるということなので、未来の日本代表を支える道、頑張って欲しいです。
沖口誠選手、感動をありがとうございました。お疲れ様でした。